今ならわかる!好きなことを仕事にするって、こんな感じなんだなぁ…

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音楽を仕事にすることが夢でした。

今思えば、夢というには小さいというか現実的というか。。。

「ビッグになってやるぜぃ!!」とか。

「世界一の作曲家になって大金持ちになってやるぜぃ!!」みたいには思わなかったんだよなぁ。。。

ま。発想が昭和なんですけどねwww

みんなにも夢ってあると思う。

それを夢だと自覚していなくても「こうなりたい」自分ってあるんじゃないかな。

今回はちょっと主題からそれて、自分の話を書きたいと思います。

ボクが音楽を志してきた道のりが「表現者」として声の世界で生きようとする人たちの何かの足しになればいいなと思ってます。

「…自分は何者で、何がやりたくて、何ができるのか…」

ボクがそんな風に思っていた昔話を今回はしてみたいと思います。

夢を持てなかった頃のはなし

あれは中二の頃でした

比較的優等生でした。

優秀な子供ではなくいわゆる「優等生」。

クラスの中に一人はいる何でもソツなくこなして、先生にも好かれてて、友達もいて。

そんな子供でした。

それだけの子供だった。

特に何か得意なものがあったわけではなく、全部が60~70点くらい。

子供の頃はそれで満足だった。

だって、何をやるにも困ることはないし、そこそこ楽しめたし。

だからそんな自分に嫌気がさしてくるのは思春期に入ってからでした。

最初の挫折は部活だったな~

サッカー部に入ったんだけど上手くなれなくて。

いわゆるスポ根的な指導方法にも馴染めなくて、つまらなかったな~

そしたら学校もつまらないものに思えてきて、あんまりいかなくなって。

そんな時にギターを持つようになって。

それからはインドアな少年時代を過ごしてたなww

でも、そこで音楽にのめりこめたことは救いだった。

夢中になれるものはありがたいよね。

親の期待とのギャップ

まあ、そこそこの優等生だから親はそれなりに期待するんだよね。

男だし、長男だし。

なので、とりあえず高校に進学はするんですけどやっぱり楽しくはなくて。

友達とバンドを組んでそれだけに夢中になってたな~

親とは何度か衝突もして話し合いもするんだけど、自分の今を変える気なんてサラサラなくて。

結局親の金で専門学校まで行かせてもらえるんだから、まあ、甘ったれた10代だった訳です。

そんな中で将来のこととかそれに対する不安とかは漠然としかなくて。

当時はね、いわゆる「バブル」といわれる時代でした。

景気はよかったんだ。

だから、仕事なんか何でもできる!食うに困ることはない!みたいな世間の風潮もあって。

生きるために仕事をする、選ぶ!みたいな緊迫感はボク達の世代にはなかったんだ。

そんな雰囲気もあって漠然と音楽を仕事にするって楽しそうだなぁって思ってた。

実際、勉強もしてこなかったから大学に入れる訳でもないし、田舎だったから就職するってのはなんか人生の終着点みたいでイヤだったしで、結局専門学校に行かせてもらったんだ。

とにかく、親に甘えっぱなしの10代だった。

だけどそれに気づくのにはまだ時間がかかった。

あの頃は楽しそうな未来にしか気が回らなかった。

思えば中途半端な覚悟でした

そして音楽の専門学校に進むんだけど、そこはいわゆる「ポピュラーミュージック専門学校」で、クラシック音楽のそれとは違ったもので。

だから、講師も生徒もそりゃぶっ飛んだ奴ばっかで。

その中で誰よりもぶっ飛んでるのが「学長」でww

一流の作曲家だった人なんだけど、もともとキーボーディストだったからピアノがめちゃめちゃうまくて。

うまいというか、楽しく弾く人で。

その演奏に圧倒され、今までの自分の音楽に対する認識の甘さとか覚悟みたいなものが木っ端みじんに吹き飛びましたwww

「こりゃ本腰入れて勉強しないとおいてかれるぞ…」と覚悟を決めました。

…はずだったんだけど、中途半端な覚悟だったみたいだな~今思えば。

ここでもね、今までの悪い癖が出ちゃうんです。

そこそこできる。

そこそこできるから、講師にも学長にも好かれる。

だからいろんな経験をさせて貰えた。

そして、勘違いした。

「俺には才能があるんだ!」

って。

本物に対する衝撃

現実を見せつけられる

専門学校にいるころは「ボク」は学校からすれば客なんだよね。

お金を払ってるから。

でもお金を払わなくなると客ではなくなる。

つまり、同業者(まだド新人だけど)として見られるようになる。

途端に厳しいことを言われるし、甘えは許されなくなるし。

これは行動に対してもそうだけど、ボクが制作するモノに対してもそう。

今まで持ち上げてきたの何だったの??ってくらいぼろくそに言われたww

当然だよね、今思えば。

社会人として、業界人として平均値にも満たない人間が周りから正当な評価なんかされるわけがない。

今思えば当たり前なんだけど、その当時はその現実に訳が分からなくなり軽い人間不信にもなり。。。

少し音楽自体から遠ざかったときもあったな~

でもね、結局戻ってくるんだ。

なぜなら、自分に出来ることは音楽しか残されてなかったから。

好きだったから、音楽が。

だから戻ってきた。

周りとの比較

戻ってきたのはいいんだけど最初は右も左もわからず。

今まで専門学校からの人間関係だけで過ごしてたから、他のコネなんかないし。

だから世間一般に倣っていろいろな所に「サンプル」を送りまくってた。

いくつか話を聞いてくれるところもあったんだけど、実際に仕事につながる例はほとんどなくて、バイトをしながらサンプルを送りまくるという、まさに一般的な手法をこなす毎日でした。

そんな時ある音楽制作会社の人から連絡があり、ゲーム音楽をやってみないかと声がかかりました。

ゲーム自体はやってたし好きでもあったから「バイトになるかな?」くらいの軽い気持ちで引き受けたんだ。

一応自分の中では「俺はポピュラーミュージックの作曲家だ!」って思ってたから、ゲーム音楽はちょっと下に見てたというか、本当にやりたいことではなかったんだよね。

で。

外注として採用され、仕事を受けるようになった。

外注というのがポイントで、制作会社から作曲の話が来るんだけど、これがコンペ形式なのよ。

コンペ形式って言うのはね、曲に対するイメージとか使われる場面なんかの指定があってそれに合った曲を作って提出し、それが選考にかけられ、採用されれば晴れてギャラが発生するというもの。

だから作った曲が無駄になることもしばしば。

というか、そっちのが多いwww

ここでもね現実を見せつけられるんだ。

嫌な思いもしたし、落ち込みもしたけど、これが現実。アタリマエ。

それすらも知らずに勝手に病んで創作活動からも遠ざかって、時間だけが浪費された…

そんな時期でした。

カッコつけすぎた

ボクの中で作曲家ってこういうものってイメージが勝手にあって。

作曲の依頼を受けてそれから曲を作って、そして歌手に歌唱指導して、印税貰ってセレブな生活をする!

って思ってたの。

ぜんぜん違うwww

そんな作曲家は「超一流の」って肩書がつく「先生」たちだけ。

その他大勢の作曲家「候補」の人間たちは、コンペやらオーディションやらを勝ち抜いて自分の曲を採用してもらえるように日々努めてる。

自分がその他大勢なんだと気づけるまでに結構な時間がかかったな~

自分は特別だと思ってたんだ。

なんの根拠もないのに。

だから、カッコつけてたな。

そしてここでも無駄な時間を過ごしていたように思う。

そして、勝手に自分の限界を思い、だんだんと創作意欲が薄れていく。

そんな時に「音声」という聞きなれない世界に出会いました。

当時はまだゲームがそんなにデータ容量を持たなかった時代。

音声データを搭載するとなると結構な容量を食う。

だからゲームに音声を搭載するようなゲームはほんの一部にしかなかった。

でも、時代は変わりゲームの容量が飛躍的に大きくなった。

そこでゲームに音声を搭載するという、新しい需要が生まれた。

ゲームの音響(音関係全般)は音楽制作会社がやっていたことが主流だったので、音声に関しても制作会社が仕切ることが多かった。

そしてボクにもその仕事の一部が回ってくるようになった。

収録した音声をデータ化する作業

というお仕事。

音楽とは全然関係ないwww

でも、創作意欲が激減していたボクには「渡りに船」だったんだ。

そして振り返ることをやめた

川の流れの意味

よく人生は川の流れに例えられることがあります。

ボクもそうだと思ってます。

流れに身を任せ、時に急流を、時に激流を、時に清流を流れていきます。

音声に関わることがどの流れになったのかはよくわからないけど、サウンドに関わる仕事という意味では一番落ち着いて取り組むことができたのは確かだった。

最初はね、言われたことをただ右から左に流すだけの仕事のスタイルだった。

でもだんだんと欲が出るというか、仕事の流れの要領が見えてくると「これ自分でも仕切れるんじゃね?」って思い始めて。

自分から積極的ゲームの制作会社にアプローチして仕事をとるようになっていった。

これも川の流れで言ったら支流から本流に流れていった感覚。

自らで考え、自らで行動し、自らで決め、自らで制作する。

そして自らで責任をとる。

そやってどんどん仕事をやっていって今がある。

確かに川の流れに逆らわず流されていった人生だけど、大事なところではやっぱり自分で決めた流れを選択してるんだよね。

その選んだ流れがその先どんな結果になるかはわからないけどね。

でも川の流れにうまく乗ることも生きていくうえでは大切な方法。

やりたいこととやらなきゃいけないことと

音楽を作りたかった。

みんなに愛される音楽を作ることが目標だった。

今でもそれは変わらない。

でも、難しい。

それが難しいことなんだという答えを発見できた、今までの人生だった。

音声に関わることで声優やナレーターとの出会いがあった。

みんな懸命に生きていた。

「おんなじだな」と感じた。

みんな難しいことにチャレンジしている。

やりたいことに向かって頑張っている人たちばかりだった。

でもね仕事にするというのは「やりたいこと」をお金に換えるということ。

そうすると「やらなきゃいけないこと」のほうが多くなる。

そりゃそうだよね、仕事だから。

この「やりたいこと」を「やらなきゃいけないこと」に出来てる人たちは幸せな人たち。

きっとやりがいを持って励むことが出来ていると思う。

でもほとんどの人は「やらされていること」になっちゃうんだよね。

それでも一生懸命やりたいことを追いかけて日々頑張っていく。

そんな生き方をここ何年かやってきた。

そんな人たちがいっぱいいた。

そして、やれることを思い知る

本音を言うとね、やりたいことは仕事にしないほうがいいと思ってるんだ。

心が壊れそうになることが多いから。

人生の中でやりたいことがあるなら、そのやりたいことを実現させるためにやりたくない仕事をする。

というスタンスがいいかもしれないな。

でもこれは、何十年もやりたいことを実現できなかった人間のいうことだから、未来がたくさんある人たちには響かないかもな。

だからあえて。

夢を持ってそれを実現するために頑張っている人たちへ。

やりたいことをやれるために頑張ろう!!

おいおい、言ってることが違うじゃないかwww

いいんです。

人生を振り返ったときに、「ああすればよかった」「こうすればよかった」って思うこともありです。

だから選択に迷う人生を進もう。

決断に迷う出来事が多い人生を歩みましょう。

夢を持つということはそういうことです。

まとめ

ボク、死ぬんかな??

みたいな内容になってしまいました。

最後まで読んでくださった方、すいません。

結局、なりたい自分になれなかった人間の半生を物語っただけになりましたww

まあ、こういうものですよww

でも楽しいよ、こういう生き方は。

後悔なんかいっぱいしてきたし、いまだにあの時あっちを選んでたらな~

って思うこともいっぱいあるし。

それでも、幸せです。

本人が幸せだと感じてるから、きっと幸せなんです。

夢を持って生きるって、きっと、こういうことです。

夢は叶えるものではなくて、見るモノだっていう人もいます。

かなわない夢を持つなんてくだらないという人もいます。

どちらが正しいかなんてありません。

ボクは夢を持ち続ける人生を選び、そして進んでいる。

というお話でした。

お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

ではまた。

ゆうでした。

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